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母の日に

母の日に



 見慣れない黄色いメモと共に2枚の紙幣が筆箱に押し込んであったのは、母の日の翌朝のことであった。

「これで母ちゃんに何か買って来い」メモにはそう殴り書きされていた。

 一目で親父が書いたものだと分かった。このメモのように、お気に入りの青鉛筆で達筆なんだか下手なんだかよく分からない字を書く人物は、この家には親父しかいない。

 尤もうちは両親と俺の3人暮らしであるから、内容から言ってこんなことを書くのは俺か親父しかいないのだけれど。



 肝心の両親はもう出かけてしまっていない。
 それでもこみ上げる「恥ずかしさ」に似た感情からかさにあらずか、俺はそれをメモごと乱雑に財布に押し込んだ。





 20分にも及ぶ学校までの長い長い徒歩の時間、俺は昨日の親父との会話を思い出していた。

「母の日だろうが、バカ息子。」

 会話はそれで始まった。母の日という年一のイベントが、あと6時間を切るかという時分の話である。

 親父の口調は、説教をするときの口調ではなかった。どうやら我が家恒例の、至極面倒な『持論発表会』に発展することはなさそうだ。

「だから?」

 ……我ながら親不孝且つ無味乾燥な台詞である。

 別に最近母親と喧嘩をしたわけでも、今日という日がすっかり忘却の彼方にあったわけでもない。



 その日俺は、珍しく朝から勉学に励んでいた。

 といっても、当然のことながら自発的な勉強ではなく、学校側に尻を叩かれてやる類の勉強――要するに宿題である。

 尋常な量ではないそれに軽い危機感を抱いていた俺は、珍しくも週末の夜更かしを放棄し、朝から一日捨てる覚悟で挑んでいたのだ。

 何とか終えたのが丁度午後6時。親父の第一声の時間である。


「だからじゃねえだろう。 俺はもう関係ねえからな。」


 そう言ったきり、親父は酒を片手に、テレビが放つ喧しい音と光に神経を集中させたようだった。





 会話はそれで終わりである。

 結局のところ「母の日に何もしなかった理由は?」と問われれば「気付いてはいたが気を回す余裕がなかった」ということになるのだろうが、それだけではないことは、自分自身が一番よく分かっていた。

 事実俺は、今は財布に収まっているあのメモがなければ、確実に今日も何もせずに家に直行していたと言い切れる。


 それほど、俺にとって重要性の低いイベントに成り果てていた、ということだ。


 いつもは家で威張り散らす親父に、少しだけ感謝の念を抱いた頃には、学校の正門と名物の坂がもうすぐそこまで迫っていた。





 その日の授業を全て終え、昇降口を出た俺。

 幸い所属している文芸部は火・金活動で、今日は月曜。じっくりと買物に専念できるというわけだ。


 いつもは駅までの退屈な時間を読書と音楽で潰すのだが、今日は音楽だけである。

 というのも、俺はここ数年、花屋というものに入った記憶が一切ない。

 学校側の最寄り駅の近くに花屋がないことは既に分かっているから、自宅側の最寄り駅付近で見つからないとなると、自転車での市内巡りはほぼ確定である。

 故に俺は、その退屈な道程に運よく花屋を見つけられないものかと、潜望鏡のように視線をあちらこちらに飛ばしながら駅へと向かったのである。



 結局俺の淡い期待は裏切られ、何の収穫もなく電車に乗ることとなってしまった。

 こうなれば市内巡りは覚悟するしか、という思いで駅に降り立ち、いつもとは反対の出口を降りていくと……


 どうやら俺はラッキーらしい。駅を出たすぐの広場で、露店の花屋が商売に勤しんでいた。

 これぞ渡りに船とばかりに食いつく俺。何だかんだ言ったところで、結局面倒なことは嫌いな男なのである。





 一通りの花を見てみたが、どれが何の花やらさっぱり分からない。

 流石に薔薇と百合の違いくらいは生物の知識で理解できるが、やはり関心のないものには違いなく、定番のカーネーションすらどれであるか分からなかった自分に、少しばかり腹が立った。

 こうなれば何を買っても一緒だろうと、見た中で一番質素且つ可憐な、数本のオレンジの花が入った小さい花束を選んだ。

 値段は3桁と少々寂しかったが、4桁でもドピンクの薔薇など選んだところで、けばけばしいだけである。



「母の日か?」

 思わず飛び上がりそうになった。これをどう母に渡したものか、というシミュレーションに既に移行していた俺の脳は、誰かに話しかけられるという事態を想定していなかったのだ。


 話しかけてきたのは、その露天商らしかった。

 萌黄色の肌に、特徴的な耳。年はよく分からなかったが、感じの良さそうなネーノ族の男だった。


「ええ、まぁ……」

 突然のことだったとはいえ、何とも情けない返事である。

「やっぱりそうだろうねぇ……親孝行じゃネーノ、あんた?」

 どうやらその時の俺は、怪訝な顔をしていたらしい。

 それを見てか、露天商は耳のピアスを少しばかりいじってから、その言葉の理由を語り始めた。

「いやぁ、最近は母の日に花を買いに来るやつも大分少なくなってねぇ。 今年も数えるほどしか来てないねぇ、あんたみたいな学生さんは。 だからちょっと嬉しくなったのよ。 あんたの母さん、きっと喜ぶんじゃネーノ?」

「いや、でも一日過ぎちゃってますし……今思うと、何で昨日買ってやれなかったのかなぁって……」

 何とか気の利いた返答をしようとは思ったものの、未だに早鐘のように鳴っている俺の心臓は、俺にそんな余裕を与えてはくれなかった。


 露天商はというと、俺の言葉を受けて少しばかり考えるような表情になった。

「うーん……俺はもらう立場じゃねーからよく分からねーけど、多分あんまり関係ねーんじゃネーノ? 俺も一日遅れとかであげたことよくあったけど、変わらずに喜んでくれたけどねぇ。」

「そんなものですか?」

「そうだと思うよ、俺は。  ほい、毎度あり。」

 差し出された花を受け取り、引き換えに代金を渡す。



「はいお釣り。 親は大切にしなよ。」


 つり銭と共に渡された彼の言葉は、どこか心の片隅に引っかかったような気がした。

 気になって露天商の顔を窺おうとしたが、逆光のせいでそれは叶わない。

 丁度彼の真後ろから差している西日はどこまでも眩しく、しかし寂しげな光を、辺りに均等に放っていた。





 その後俺は反対側の出口から駅を出て自転車に乗り、無事家へと帰ることとなるのだが、その道中思わぬ人物と出くわしたことも、話さねばなるまい。


「モラさん? モラさんじゃん!」

 後ろからそんな声が飛んできたのは、丁度いつも降りる側の出口へと向かっている途中のことだった。

「おお、フサか。 久しぶりだな。 つっても2ヶ月ぶりくらいだけど。」

 中学のときのクラスメイト、フサだった。

 中性的な顔と声、少々変わった性格、まるで女子のような話し方――

 中学では変わり者として周りから少々遠ざけられていたが、一度仲良くなると分かる不思議な魅力を持ったやつだった。

 フサはフサで俺を慕っていてくれていたらしく、「モラさん」というあだ名で俺を呼ぶのは昔も今も――恐らくこれからも――こいつだけだ。

 工業系の高校へ進学したと聞いたけれど、実際に高校の制服を纏ったフサを見るのは、これが初めてだった。


「モラさん今日学校休み? 開校記念日とか?」

 ……俺が高校に通うようになってから、一番よくされる質問がそれである。

 無理もない。俺の通っている学校は、県内でも数えるほどしかない県立私服高校だった。

「いや、私服高校なんでな。 学校帰りだ。」

「あ、そういやそうだったね。 言ってた言ってた……」

 クスクスと笑いながら言うフサ。こいつの可愛らしい点の一つだ。


「あれ……モラさん、もしかしてその花は……?」


 ついに来たか。いや、小さいとはいえ、この時期に花束を持って歩いていてはそう声をかけたくなるのも当然のことである。

「ご想像通りだな、多分。 母の日だよ。 一日遅れだが。」

「やっぱりー。 ダメじゃん遅れちゃ。 モラさんママ寂しがってるよ?」

「まあそう言うな。 こっちにも色々事情があってだなぁ……」

「ダーメ。 どうせゲームに6時間くらい熱中してたんでしょ! 二中の中でも筋金入りのゲーマーだったからね、モラさんは。」

「生憎だが6時間は『お勉強』だ『お・べ・ん・きょ・お』。 人がいつもゲームばっかりやってるように言うな。」

「ふーん、あのモラさんがお勉強ねえ……やっぱり宿題とかどっさり出るの?」

「んまぁ、それなりにはな。 むしろ宿題よりも予習・授業・復習のトロイカ体制とかいうのがこりゃまた面倒で……」



 久々の世間話は双方ともに盛り上がりを見せた。特に高校に入って殆ど知り合いがおらず、孤立状態の俺にとっては、旧友との雑談は何よりも保養になった。



「んじゃ、俺はこれを早いとこ持って帰んなきゃいけないんでな。 またどっかで会おうぜ。」

「おう! またどっかで!」

 飛ぶように去っていくフサ。そういえば、明日希第二中時代は色んなとき助けてもらったっけ。


 さらに記憶のビーカーを攪拌すれば、自分史の中で『精神的にも肉体的にも助けてくれた友達』というのは、あのフサしかいないような気がする。

 辛かったときには、酷い当たり方をしてしまったこともあった。でもフサは俺が何をしたって、絶対に悪口や嫌味を言ったりはしなかった。

 それどころか、最後にはこっちが泣けてくるくらいに、粘り強く俺を励まし続けてくれたのだ。


 友が倒れそうになればその体を支え、道を踏み外せば正道に引き戻し、重荷に潰れそうになればその荷を共に負う。


 何一つ俺が出来ないことを、全て出来るやつだった。


 だからこそ、俺は惹かれたのかもしれない。

 高校でもフサのような親友を作り、そして今度は俺自身が、フサの役割を果たすことを心に決め、俺は駅を後にした。





 見慣れた玄関の前に立ち、改めて居住まいを正す。

 エレベーターで上がってきたはずなのに、俺の心臓は先程のように早鐘ビートを刻んでいる。


 何分そこで躊躇っただろうか。否、実際の時間は高々数十秒だったかもしれない。

 深呼吸を幾つかし、なるたけ平常を装う。


 自分でも分かるほど、バレバレな仮初の衣装だった。


 意を決し、玄関の扉に手を掛け、一気に引く。

 刹那、ガッツンという音と共に強烈な衝撃が手に伝わる。

 内鍵だった。うちの母親は、家にいるときでも内鍵をかける癖があり、いつもは少し引いてから確認して開けるものだった。

 勿論そのときの俺にそんな余裕がなかったことは、先程の様子からして見て取れよう。

 ジンジンと伝わる痛みに耐える間もなく、気付いた母親がこちらに駆けてくる音が、扉を伝わって聞こえた。


 さり気なく渡すならば今しかない。入ってしまってからではタイミングがつかめなくなる。

 半開きの扉が一旦閉まり、内鍵が下りてから再び開く。



「母さん!」

 母の「お帰り」よりも先に声が出た。こうなればもう後には引けない。『さり気なく渡す』なんてのは、今の上ずった大音声からして無理そうだ。

「これ、一日遅れたけど……。」

 買ってからもう随分長い時間が経っていたはずなのに、差し出したその花は、つい数分前に買ったように生き生きとして、変わらぬ美しさを放っていた。



 それからの母が嬉しそうな顔をしたのか、感動で目にうっすらと涙を浮かべたのかは、よく分からない。

 気恥ずかしさのあまり、紅潮する顔をそっぽに向けていたからである。

 視線の先では、先ほどの太陽の端がもうすぐ地平線にかかろうかという、えもいわれぬ雅な光景が繰り広げられていた。

 相変わらず西日は目に眩しかったが、薄群青の空と赤橙の陽が混ざり合うすみれ色の辺りの空は、俺が今までに見た自然風景の中で一番美しいような気がした。





 後から聞いた話だと、俺が買ってきたその花はまさしく「カーネーション」だったらしい。

 カーネーションといえば赤のイメージしかない俺にとっては、びっくり仰天だったが。

 まあ詰まるところ、結果オーライだったってことかな。

「人と同じは嫌」なんて言ってたって、結局は人と同じ道を歩んでしまうのかもしれないけれど。





 さて、次は父の日のプレゼントを考えてやらなきゃ……。

 今回は親父にも助けられたからな。その分上乗せしてプレゼントしてやるか。

Fin.

母の日の2日後の部活動中にふと思いつき、書きなぐったもの。
かなり過ぎたんで、投稿を止めようかとも思いましたが、勿体無いので完成させて投稿することにしましたw
因みに実話:潤色が7:3という、今までにない準ノンフィクション作品です。
母さん、プレゼント遅れちゃってゴメンよ(´・ω・`)


コメ返信
>>スリッパ氏
早速のコメント有難うございます。
なるほど、情景描写ですか……
いつも心の片隅には置いているつもりなのですが、今見返してみると何一つないですねw
ということで、取っ付けではありますが、幾つか情景描写を追加してみました。
少しでも質が上がっていればいいのですが……。
コメント&アドバイス有難うございました!

タイムリーなネタ、乙です。
主人公の心情の変動にリアルさが出ていて楽しく読ませていただきました。
ただ、情景描写なども入れると尚良いと思いませう。例えば、ラストに

いつも気にもかけない夕日だったが、今日はやけに綺麗に見えた。

とか入れたらどうかと思います。まあ個人的な主観なのですがね。(夕焼け好きなんですよ、夕焼け。)これからも期待してます。

2008-05-20 スリッパ

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