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ログハウスのおじいさん




 その町は、安っぽい地図の隅にぽつんと描かれたちいさな黒い点だった。



































その家は、埃っぽい町の隅にぽつんと建てられたちいさな木の箱だった。
























そんな、ちいさな町のちいさな家の中で紡ぐられたちいさなお話――。




































  もう日が傾きかけてきていたためか、その部屋は薄暗く染まっていた。しかし、それは決して誰かに不快感を与えるようなものではなく、むしろ不思議な心地よさに包まれてる、と形容してもおかしくない程の光加減だった。
  なんの装飾もなく、壁紙すらも貼られてないむきだしの木製の壁と床に囲まれたその部屋。家具といえば部屋の隅の小さな洋箪笥以外には1つしか存在していなかった。
  しかし、その部屋の中心に1ヶ所だけ、周りとは対称的に薄めた蜜柑の汁のような淡い橙色に染まっている場所があった。
  その場所は、部屋唯一の窓から春のうららかな陽光が差し込まれた結果、もたらされたぽかぽかと暖かい日だまりだった。
 その日だまりの中心に、それらは静かな存在感を放っていた。ロッキングチェアとも呼ばれるこの部屋もう1つの家具が、1人の男性を上に乗せて、一定のリズムを刻みながら前後にゆっくりと揺れている。それはまるで彼の午後のまどろみの刻をより一層心地よくするためだけに存在していると言ってもいい程に絶妙のテンポだった。
 白い毛に皺の深く刻まれた顔と丸い耳といった風貌のその男性は、今ならいつ迎えが来ようと構わない。というような幸せそのものの表情で椅子にゆられながら寝息をたてている。
 それが揺れる毎に床が微かに軋み、その音に合わせて男の胸も静かに上下する。そんな1枚の絵画を切り取ったかのような情景を醸し出している空間が、その時その場所に存在していた。
 彼の名前を知る者はほとんど――――否。誰一人いないだろう。発音が難しい彼の名をあえて使おうとする物好きはおらず、彼自身も自らを代名詞で呼ぶ事に抵抗をもっていなかった。それ故、いつしか彼ですら己の名を忘れ、近所の隣人達からは『ログハウスのおじいさん』という通り名で呼ばれるようになっていた。
 彼に家族はいない。父は彼が生まれてくる前に元来の酒好きがたたって急性アルコール中毒で死に、母は彼がまだ幼いうちに過労で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。だが、それでも彼は今のこの1人暮らしを淋しいとは感じてはいなかった。何故なら―――――
 
「来たな。」
 
 寝ていたはずの彼が片目を薄く開き、虚空に向かって唐突にそう呟いた。碧い左目が夕日に煌めくその一瞬だけ椅子の運動は止まり、部屋の中が完全な静寂に包まれる。視線の先にはこの部屋唯一のドア。しかし、その目はすぐに閉じられ、床が軋む音もまた、すぐに再開された。そして、それからは何事もなかったかのように先程と同じ光景が繰り広げられた。
 30秒。いや、1分程経ったであろうか。不意に先程彼の視線の先にあったドアが音も無く開いた。それは紛れもなく何者かがこの部屋に侵入してきた証。
 侵入者は息を殺し、足音を忍ばせて椅子の前まで素早く忍び寄った。彼が目を覚ます気配はない。侵入者は手を伸ばせば椅子に手が届きそうな所まで更に接近し、彼の様子を頭からつま先までなめ回すようにじっくりと観察する。そして彼が完全に熟睡しているのを確認すると、口元に小さく勝利の笑みを浮かべた。
  一呼吸おいた後、侵入者は膝を曲げ、体勢を整えての―――跳躍。
 身体の浮いたその瞬間、侵入者は勝利を確信した。喜びを噛み締めながら空中で自らの両手を突き出す。獲物に飢えた手が彼の体を捕らえようと虚空を突き進んだ。
 しかし、その手が目標物を掴むことは無かった。いつのまにか視線の先からは獲物の姿は消え、彼が座っていた椅子のみが微かに揺れているのみ。空振りした手が空中で奇妙な形に交差し、支えを持たない身体はそのままゆるやかな放物線を描いて落ちてゆく。
  その先、落下地点には堅い木製の椅子。このまま墜ちればまず、激突は免れないだろう。先程までの勝利の笑みはとうの昔に消え失せ、その顔には恐怖の色さえ浮かんでいた。
 落下の勢いは留まることを知らず、椅子との距離はぐんぐんと縮まってゆく。緩むことのないその速度が侵入者の恐怖をさらに煽り立てる。そして激突する直前、あまりの恐怖に悲鳴をあげることも忘れ、その目を閉じて現実を拒否することしかできなかったその瞬間、

  「はい、残念。」

いたずらを成功させた小さな子どもがあげる歓声によく似た響きを含む彼の声が頭上から降ってきた。それと同時に身体の急激な落下も止まり、慣性の法則で彼女の身体はがくんと揺れ、赤いスカートがふわりと舞い上がった。

 「……ケホケホッ、襟首掴まないでよぉ。一瞬息が止まっちゃったじゃない。」

 侵入者……もとい少女が彼に向かって文句の声を上げた。見かけからして小学校2〜3年生といったところか。額に浮かんだ玉のような汗が桃色の毛並みつうっと撫でて頬のアスタリスクの真ん中で止まった。彼はそれを見てにやりと笑い、 すとんと彼女を床に立たせ、愉快そうに言った。

 「元々そっちがじいちゃんの寝首をかこうとするからいけないんじゃないか。もっと普通に入ってくれはこんな事には成らなかっただろうに。」

 「なにさ、普通に入ったら入ったで脅かすでしょ。いつだったかドアを開けたら爆竹が破裂した。なんて事もあったよねぇ?」

 爆竹なんかたいしたことなかろうがと、彼が即座に彼女の文句に反論する。その碧い双貌が柔らかな橙色の光の中、きらきらといたずらっぽく輝いた。
 彼がこの家に1人で住んでいても孤独を感じないのは、彼女のような訪問者がたびたび訪れるからである。簡素な部屋の中、彼女が不満を上げ、彼が満面の笑顔で返す。そんな和やかな言葉の応酬が彼の数少ない楽しみの1つであった。

 「まったく。ほんっとじいちゃんって年甲斐も無く子どもみたいな事ばっか。もっとビシッと生きてみたら?」

 「おやおや、これは心外だなあ。じいちゃんはビシッとするときはするよ。でも、ずっとパンパンの風船はちょっと突いただけですぐに割れちゃうだろう?」

「その風船、膨らんでるとこなんて見たことないけど。」
 
 少女の挑戦とも侮辱ともとれる言葉を聞き、彼は一瞬眉をひそめた。しかし、すぐに自信に満ちた顔に戻り、こう言った。

 「ずっと思ってたけどしぃは8歳の女のコの割には可愛いげないよねえ。そんなんじゃ好きなコからも嫌われちゃうよ?」

 「うるさいなっ!8歳じゃなくて11歳だよ!もう2桁ですよ〜だ。」

 しぃと呼ばれたその少女が顔を赤くして叫ぶ。彼はその彼女の特有の痛い所をつかれた時の焦った反応をしばらく楽しみ、今度は真面目な顔でこう言った。

 「ま、くだらない冗談はここらでおしまいにして、しぃちゃん、今日は一体どんな事をやらかしたんだい?」

 前述したように、彼のところには毎日といっていい程さまざまな人間が頻繁にやってくる。勿論、ただ遊びに来る人もいるにはいるが、実際は訪問者のほとんどが何かしらの悩みや心配事を抱えており、彼に助言を求めてやってくる場合が多い。亀の甲より年の巧、という訳だ。
  今では、『困った時はログハウス、結局最後はうまくいく。』という宣伝文句めいたものまでがこの町に定着してしまっている。
 彼女は時たま用もなしにやってくる彼数少ない客人の1人ではあったが、悩みを相談しに来ることも多い。それというのも、生まれついてのこの生意気とも勝気ともいえるこの性格が災いしてしまい、彼女は年がら年中誰とでも問題を起こしてしまうからだ。大抵は彼女が自分で切り抜けることが多いが、少し事情が捻れてしまった場合は必ず彼の家に駆け込むのだ。その場合、こっそりと気付かれないようにここにくることが暗黙の了解となっている。

 「あ、バレた?実は親父と喧嘩しちゃって。」

 手を頭の後ろに組み苦笑しながら彼女が打ち明けた。彼は軽く頷き、顎で続きを促す。彼女はしばし躊躇し、一息で言い切った。

  「…………ねぇ、じいちゃん。じいちゃんは、『なんで人は人を殺しちゃいけない』のかって知ってる?」

 「うん?」

 彼女の意外な質問に、彼は思わず聞き返していた。通常、彼女が彼の家に来る理由は小遣いを減らされたとか、お古の服しか着させてもらえないといった一般に、『他愛もないこと』についての愚痴をこぼしにくるためだった。だからこそ彼女がこの誰もが幼い時に1度は口にするこの質問のような、『他愛もないこと』で片付けられないような質問をしたことに彼は驚いたのだ。

  「ホラ、最近物騒な事件が多いでしょ?この前もここらの近くで女の人が殺されたりしたし。んで、さっきお昼食べてる時親父にポロッと聞いちゃったんだよ。『なんで人を殺しちゃいけないの?』ってさ。」
 
  彼のぽかんとした顔に焦ったのか、彼女が一気にまくし立てた。
  だんだんと話が読めてきた。どうやら彼女の中ではこの質問は『他愛もないもの』だったようだ。哲学とやらに目覚めた訳ではなかったのか。なるほど。
 彼は1度頷き、そしてどこか楽しげにそれで?と、言った。

 「そしたらアイツ、バカみたいに怒りだしてさ、『オレの娘がそんな事思うこと毛の先程でも許さねぇ!』だってさ。」

 ここで彼は堪えきれずに吹き出した。彼女の父が『髪の毛に不自由な人』なのは町中の誰もが知っていることだ。彼の笑う姿を見て彼女も可笑しさを思い出したらしく、一緒になって笑い出した。
 「…………で、ケンカをしたはいいけど引くに引けなくなって駆け込んできたという訳だね?」

  ひとしきり笑った後、彼が目を拭いながら聞いた。

 「まあそんな感じ。どう思う?」

 軽い調子だが彼女はそんなに軽くは考えてはいないだろう。未解決の喧嘩はどんなものであれど当事者に多少のわだかまりを残す。感情を隠すのが下手な彼女相手だからこそ、そんな心のもやもやを彼は手に取るように理解することができた。
 しばらく考え込むような動作をして、彼はふと窓に目をやり、こう言った。

 「……あぁ、夕焼けが綺麗だねぇ……」

 「はぐらかさないでよっ!」

  自分のことを無視されたと思い、彼女が怒声をあげた。彼は彼女の怒った顔を見てにっこりと笑い、何も言わずに部屋の隅の箪笥に向かって歩き出した。

 「ねぇ聞いてるの!?」

 背中に向けられた彼女の言葉に返事をすることはなく、彼は箪笥の前にたどり着くと、その中をごそごそとし始めた。

  「おお、あったあった。」

 彼は誰ともなしに小さく呟くと引き出しを閉じ、見つけた物を片手に持って元の場所に戻ってきた。

 「それ、何?」

  怪訝な顔をした彼女に片目をつむってウインクすることで返事とし、手の中の物を夕日にかざして見せた。


















































―――刹那、4つの眼ブロンズの煌めきが包み込んだ。瞳の中で輝きが踊り、弾け、跳ね回った。
 湖面に反射した夕日に似ていて、それでいてどこかが決定的に違う。自然にしか作りようのない温かみを持っているのに、どこかが作為的。そんな不思議な輝きを表現するのに彼女は―――しぃは『綺麗』以外の言葉を今現在、持ち合わせてはいなかった。
  『綺麗』。
 そのたった2文字の単語がしぃの頭の中でぐるぐると回り続ける。今感じているこの感覚、左右が逆にならない鏡を見たとき、泥棒には入られたけれどものが盗られなかったとき、そんなときに感じてしまいそうな感覚。矛盾があるのにそれを容認してしまいそうで、それに小さく抗ってみたくなる感覚。何故そんな感覚になるのか。彼女は答えを知っていた。知っていたけど分からなかった。それは、たった1つの小さくて大きな疑問。いつでも気付けたのに気付くことのなかった疑問。気付いた今も意識していない疑問。ただ、その疑問のせいでお腹にぽっかり穴が空いたような気分になったのだけは彼女にも理解することができた。そんな気分に驚いて、つい彼女は何事もなかったかのように振る舞ってしまった。ココロの中は『綺麗』の2文字。今はこの、『綺麗』な光で満たされていよう―――と。
 『綺麗』はアタマで渦巻いて、ムネからノドへ。ノドからクチへ。だけど『綺麗』はコトバにならずに、長い長い吐息となってクチから外に流れ出た。奇妙な吐息は宙に浮き、ゆっくりゆっくり、消えていく。






















































  「どうだ、綺麗だろ?」

  彼女が嘆息を漏らすのと、彼が自慢気にいうのとはほぼ同時であった。言葉を失う程光に心を奪われている彼女の横顔を見て、彼は満足気な笑みを浮かべる。

 「……ねぇ、これ、これ何!?」

 少ししてやっと我に返ったのか彼女が興奮した面持ちで彼に尋ねた。瞳にあの光を溜め込んだかと思わせる程に目を輝かせて。彼は掲げていた腕を下ろすと満面の笑顔をそえて一言、

 「ペンダント。」

 「ま…魔法のペンダントなの?」

 魔法、という言葉を彼女が安易に使ったことが可笑しかったのだろう。彼は小さく、くすぐったそうな笑い声を上げた。彼女はつかの間、ポカンとしていたが、馬鹿にされたと分かった瞬間、顔を赤くした。

 「すぐ人を馬鹿にするんだから。」

 彼女がほっぺたを膨らませながら抗議の声を上げるのを見ると、かれは笑うのを止め、目を閉じて、ゆっくりとした動きで首を横に振りながらこう言った。

 「いや、これはただのペンダントだよ。」

 言い切った彼の顔は窓からの斜光に照らされているせいか、どこかしわが増えて見えて、どこか影を帯びているように見えた。
「じ……じゃあ、なんであんなにきれいに光ったの?」

 今までに見たことのない彼の表情に驚いた彼女は、そのまま会話が途切れてしまうのが怖くなって、急いで質問した。

 「これを見てごらん。」

 彼は直ぐにいつもの笑顔に戻り、言いながら彼女の右手をとってそのひらにペンダントをそっと乗せた。

 「どこかに仕掛けがあるの?」

 そう言った彼女に彼はにっこりと笑いかけ、説明しだした。

 「このペンダントはたくさんの細かいヒビがはいったガラスの玉に銀箔を貼り付けたものなんだ。2ヶ所だけ、光の通り道になるように貼ってない、といかスリットみたいになってる所があるけどね。入口からはいった何本もの光がヒビのお陰でそれぞれ何度も屈折してめちゃくちゃな方向に曲がる。でも、銀箔のせいで出口からしか出れない。だからここからばらばらの向きに光が分散して出てきて万華鏡みたいに綺麗な光景が浮かび上がる、って訳。」

 「………………よく分かんない。」

 不満そうに唇を尖らせた彼女を見て彼は笑顔を添えてこう言った。

 「要は、魔法でもなんでもないってことさ。」

 「ふーん。」

 とりあえず納得した様子で彼女はこう返事をし、手の中のペンダントをしげしげと眺め始めた。彼はそれを見ると満足気に頷き、窓の方を向いて夕焼け観賞としゃれこんだ。

 「…………『何故人を殺めてはいけないのか』、だったっけ?」

 しばらくして、太陽がいよいよ沈み切ろうとした時、顔を微動だにさせず唐突に彼が言った。

 「うん。」

 飽きずにペンダントを観察する彼女がペンダントから目を離さずに答えた。

 「正解を言うのはつまらないから答えが同じ問題をだそうか。」

 「……うん。」

 一呼吸して、彼女が返事をした。彼もすこし間隔を空けた後、夕日に瞳を向けたまま質問を口した。

 「…………さっきの輝き、キミは綺麗だと思ったでしょう?」

 彼女は声は出さずに首を小さく縦に振ることで返事とした。その動作のぎこちなさは、一握りの不安を物語っていた。
 視線を向けずにどうやってその動作を把握したのか不明だが、彼女が返事をすると彼はゆっくりと口を開いた。
 先程彼女が感じてしまった『疑問』を、確かにその時その場所でその唇が紡でいた。































































                           なんで?










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