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夏の匂いと向日葵と宿題

 泣きそうになるぐらい真っ青な空。
 しかし、彼女はとても泣けそうでは無い。
 いや、泣けそうだった。
 真っ直ぐ放たれる夏の太陽光線。
 唯でさえ暑苦しい教室は何時にも増して暑苦しかった。
 彼女――しぃの頭の中はもう溶ける寸前だ。
 目の前の黒板の白い文字はもはや何かの呪文にしか見えなくなっていた。
 あっつい、あっつい……!し、死ぬっ!
 太陽の馬鹿やろぉぉぉぅぅぅう!!!
 とか何とか昔の青春ドラマに出てきそうな台詞を叫びながら机を叩きたくなった。
 しかし出たのは溜息。振り下ろされた右手は音も立てずに机に転がった。
「うぅっ……、はぁ…………」
 彼女の呟きを気にする者は居ない。
 誰もが皆必死だった。
 勿論殺人的な暑さに。
 大人達は受験だ受験だと大騒ぎしているが、実際それに必死の人は少ない。
 今は唯只管暑さと戦うしか無かった。
 ただし、一人を除いて。
 いつの間にか転がっていたぐしゃぐしゃに丸められたノートの一ページ。
 顔を上げて斜め前に視線をやると、幼馴染の楽しそうな笑顔があった。
 あいつは無敵か?
 もしやあいつは火の中に突っ込んで笑ってるんじゃないか?
 どうでも良い事に頭を使い始めるしぃ。とうとう夏の太陽に頭がやられてしまったのかもしれない。
 そしてたどりついた結論は――
 暑い、暑い、暑い……暑過ぎる……。


   夏の匂いと向日葵と宿題


 人一人ぐらい殺しそうな蒸し暑い教室からやっと解放された放課後。
 しぃは玄関では無くある場所に向かっていた。
「ったく、何で理科室……」
 授業中、無敵少年・モララーによって投げられた紙切れには無駄に大きく、
 “放課後 理科室で この学校っててっぺんハゲ多いよな”と書かれていた。
 最初の二行は分かるが最後の行は理解に苦しむ。
 しかも他の二行よりも堂々と書かれていたから尚更。
 いや、まあ、本当なんだけど……。
 彼は昔から理解に苦しむ人だった。
 雨の日傘を持っているのに差さないでいたり、刺身にソースをかけてみたり、夜の学校に浴衣で忍び込んでみたり。
 他にも出せば出す程ある。
 しぃがこんなにモララーについてのエピソードを覚えているのは彼と彼女が幼馴染なのも、彼が変人なのもあるが、もう一つ大きな理由もある。
 しぃ、あの先輩かっこいいよねー。ねぇ、見てるだけで惚れちゃいそうじゃない?
 友人の問いかけ。もう十何人もから何十回と聞いてきた。
 けれどしぃは頷いた事は一回も無い。
 もう、笑えるぐらいベタなんだけど……。
 先日親友の中の親友に打ち明けた事。
 私、モラの事が好き、なんだ……よね……。
 物心付いた時からだ。
 綺麗に笑う彼の表情が好きで好きで溜まらなくなっていた。
 まるで向日葵みたいな……。
 此処まで溢してその親友の親友に大爆笑された事は言うまでも無い。
 親友は笑った事を詫びて問う。
 何の違和感も無く冗談で抱きついてみたり、手を繋いでみたり。
 モララーは昔から変わらないノリでしぃにじゃれて来る。
 しぃはそれ以上の事をしたいの? 今の関係が全部崩れるかもしれないという代償を支払っても。
 しぃは首を縦に振った。
 今の関係はしぃには苦しすぎる。
 しぃは彼がじゃれて来る事が堪らなく嬉しく、堪らなく苦しかった。
 それはしぃにお前は大事な友人、と言ってるようで、お前は友人、それ以上では無い、と言ってるようで。
 溜息混じりに辿り着いた理科室に入る。
 夏蜜柑の匂いがした。
 窓の所に植えている夏蜜柑の木からだろう。
 からかってくるかと思っていたが、何も反応は無かった。
 風通しの良い、幾分か教室より涼しい理科室の奥の机に座る背中。
「何で机に座ってるの。椅子あるんだから椅子に座りなさいよ」
 その声でやっとモララーは彼に歩み寄る彼女に気付いた様子。
「あ、しぃ」
「もう、モラが呼び出したんじゃん。で、何で理科室? っていうか良く許可貰ったよね」
 少し呆れた様に言うしぃ。
 しかし、モララーは自慢げにヘヘヘと笑った。
 答えは簡単だ。
 モララーと理科の教師は何故か仲が良かった。多分そのお陰だ。
「もう直ぐ夏休みだねー。あんまん食べたい」
 相変わらず放つ言葉は訳が分からない。
 それ以上モララーが言う事が無い様なので、しぃは取り敢えず気になる事を聞いてみる事にした。
「なんで綿棒咥えてるの? 」
「ほえ? 」
 何故か少し考えた後、細胞を見るの、と元気良く答えてくれた。
 しかし他の機材は一切用意されていない。
 本当に一体何を考えているのだろうか。
 それを問おうとした瞬間、口に何かが突っ込まれた。
「…………」
「そういえばさー、細胞の形って人によって違うのかなー? 」
 笑うモララーの顔を何かがさっきとは違う。
 あ、何も咥えてない。
 嗚呼、そうか。そう言う事か。
 顔が熱くなるのを感じたが、あえて何も言わなかった。否、言えなかった。
 彼女にも限界はある。
 苦しい、苦しい、苦しい、くるしい、くるしい、くるしい、クルシイ、クルシイ、クルシイ。
「し、しぃっ!? 」
 急に泣きそうなぐらい歪む顔。
 それでも彼女は涙も拭わなかった。
「どした? どした? 腹でも痛いの? 」
 あたふたするモララーを見て、また苦しさが増すのをしぃは感じる。
 首を振って、やっと発した言葉は思ったよりも震えていた。
「私達、何時までも子供じゃないんだよ? 」
 まるで見えない所の糸が断ち切られた様な。
 向日葵の様な彼は表情を失った。
 お互い目を見つめたまま、否、目を逸らせずに永遠とも思える時間を過ごす。
 ある時、モララーは無表情のまま、右腕を動かした。
 それにつられる様に左腕も動く。
 震えながらある所まで来て止まった。
 息を呑む音が聞こえた様な。
 少しの間を空けて、勢いに任せる様にモララーはしぃに抱き付いた。
 机に座っていた分、モララーは高い位置に居た上、突然だった所為でしぃも何の覚悟も出来ず、結果モララーはしぃごと床に倒れる事になる。
「やだ」
 天井を見上げる目からまだ涙が流れた。
「やだ」
 返る言葉は小さく意思が感じられる物。
 ゆっくりしぃの上に乗っていた体を起こし、その場で胡坐を掻いた。
 彼女の身体も無理矢理起こして、無理矢理視線を合わせる。
「やだ」
 真剣な目で、真剣な言葉で。
 苦しい、苦しい、苦しい、くるしい、くるしい、くるしい、クルシイ、クルシイ、クルシイ。
「逃げるなよ」
 何か行動に移した訳でも無いのにその言葉はちゃんと的を獲ていた。
「ごめん。私はそんなに強くなんか無い……」
「じゃあ誰が強いの? 」
 それは、と言葉を濁す。
「せんせー、ノート取りに来ましたー」
「先生ぃ? 」
 素っ頓狂な声。
「お、モラか? 」
 勿論そんな声を上げたのに気付かない人が居る訳も無く。
 諦めて立ち上がると彼の親友のギコが居た。
「一人か? 」
「んー」
 何故かしぃの存在を誤魔化した辺り、何かあるのだと、しぃは大人しくする事にする。
 モララーは似合わず冷や汗を浮かべながら、
「先生居ないよー。ほら、さっさと行――」
「ふられたか」
 ビクリと身体を震わせたモララー。
 予想通りの反応にギコはニヤリと笑う。
「だから言っただろー。しぃちゃんは絶対お前に気が無いって」
 一瞬ギコから視線を外して、しぃを見たモララー。
 ギコに視線を戻した顔は何処かすっきりとしていた。
 つまり、開き直っていた。
「いやー、だって、嫌がって無かったしさー。何しても」
「嫌がらないイコール好きじゃねーぞ。恋する少年よ」
 二人の笑い声が響く。
 片方の目が明らかに笑ってない事に関しては無視する事にしぃは決めた。
「まあなんだ、新しい好きな子でも見つけるんだな。まあ無理かもしれないけど。あんなに語ってたしなー、しぃちゃんの可愛さについて」
 じゃあな、と笑いながら手を振るギコ。
 手を振り替えすモララーの目には最早殺意すら浮かんでいた。
 しばらくギコが居た辺りを眺めるモララー。
「……帰る」
「ちょ、ちょっと待って! 」
 立ち上がってワイシャツの裾を引っ張る。
 振り返った彼の顔を真っ赤だった。
 しぃは釣られて自分の顔も熱くなるのを感じる。
 突然音を立てて彼がまた向日葵の様に笑った。
「お前、やっぱり可愛いよ。好きだ。結構前から」
 返事は良いや、といつものノリで続けて、またしぃに背中を向ける。
「宿題って事? 」
「いや」
 背中が止まった。
 しぃの見間違えで無ければその背中は震えている。
「別に良いよ。分かってるから。別に改めて言う必要なんか――」
「宿題はさっさと終わらせるタイプなの」
 振り返った彼。
 しぃはにっと笑ってみせた。
 少し顔を赤らめた後、机の下から何かを引っ張り出すモララー。
 それをしぃの方へと軽く投げた。
「あげる」
 夏蜜柑。
 良い匂いがしぃの手から溢れる。
 また向けられた背中にしぃはそれを軽めに投げ返した。
「一緒に食べようよ。ね」
 振り返ったモララーに今度はにこりと笑う。
 私も向日葵みたいに笑えてるかな?
 嬉しそうに彼も笑って、
「腹壊してもしらないからな」
 二つの向日葵が揺れた、とある夏の日。

あとがきはありません

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