Time's 〜タイムズ〜


第1章……2006年8月18日、モララー24歳


彼女といたのは短い間であった。一週間くらいだろうか…正確な日数は思い出せないのだが、彼女が僕の傍にいたという記憶だけは残っていたのだ。ただ、その時…僕は彼女と何をしたかとか、何を話したかとか…どんな顔だったとか…そう言う記憶が一切無いのだ。でも僕は確かにあの時"誰か"と一緒にいた…それだけは覚えている、これは夢ではないだろうと思う、あれを夢と言うにしては余りにもリアル過ぎるし、自分自身も夢だと認めたくは無かった。なぜならあの時…確かに僕は彼女に命を救われたのだから……それだけは忘れていない…今日も僕はせまい部屋に敷いた布団に潜り込んで、彼女の顔を必死に思い出そうとする…しかし案の定、何も思い出せない…やがて、そんな事を思い出そうとしている自分が馬鹿馬鹿しくなり、溜息を一つ吐いて目を閉じた。目を閉じる寸前、自分のアパートの天井が見えた。何も変わらなかった……


第2章……1996年4月10日、モララー16歳


1996年4月10日……この日…僕、モララー16歳は、たったの1年で通っていた高校を自主退学した。その理由は成績不振…こんな事なら最後にガラスでも割って暴れ回っちまえば良かったな…そんな事も考えた。しかしそんな事は単なる強がりに過ぎない、僕は成績が悪くて留年になり、それが嫌だから仕方なく自主退学したのだ。悲しすぎる…辛過ぎる…だから僕はそんな暴力的な事を考えて自分をごまかしているのだ。
(他の人になりたい…)
僕はそう思った。今、僕の目の前を早足で通り過ぎたスーツを着たサラリーマン風の男も、大型のトラックを運転しているちょっと柄の悪そうなドライバーも、幸せとは言わないまでも、ごくごくありふれた生活をしているのだろう
どうして僕はこんな、何も出来ない駄目な奴に生まれてきてしまったのだろうか…そう思うと笑いが止まらなくて困った。自分を呪った。呪いつくした。僕なんてこの先の人生100%成功しねぇよ、きっとこの先…僕はまともに仕事も出来ずに乞食みたいになって、のたれ死ぬんだろうなぁ…そんな言葉が僕の頭を駆け巡った。
笑いが止まらなかった。ついでに涙も止まらなかった。僕は周りの人と何が違う? 僕が何か悪いことをしたのか? いくら考えても答えは出なかった。

と、言うわけで…僕は街に日が沈む今日の夕方、この見晴らしの良い橋の上に来たのだった。今日は朝から昼過ぎまでずっと降り続いていた雨のせいで、下の川の水は濁流と化していた。この川に身を投げれば助かることは無いだろう
どこからか桜の花びらが落ちてきて、コーヒーのような色になっている川の中に入っていった。
(自分もあと少しで、あの桜の花びらの様になるんだな…)
僕はちょっと詩人的な表現でそう思ってみた。やがて…僕は橋から身を乗り出す。だが足が竦み、なかなか飛び降りることが出来ない
早く自殺を完了させなくてはいけないのだ。今の時間は、この橋の上には人はあまり来なくなる、橋の周りにも人通りは無い…だから今のうちに自殺をしないと、だれかに死ぬところを見られたら全てがご破算だ。遺書だってもうちゃんと書いてあるんだ。そう考え、勇気を出して飛び降りようとした時…
「あんたなにやってんのよ!!!」
声が聞こえた。女の子の声だ。僕はその声に驚き、体のバランスを崩した。
「わっうわっ!!!」
僕の体は橋の外側に倒れていく…その時…「危ない!」という声が聞こえたかと思うと、柔らかい手が僕の手を掴んだ。見上げると、さっき大きな声を出したのであろう女の子が、僕の手を引っ張っていた。落ちかけていた僕の体を彼女の手が引き上げる。
「ふーっ…間一髪だよぉ…」
彼女は手で額の汗をぬぐう仕草をしながら目を閉じる。僕はしばらくボーっとしていて…そして、暫くすると…自分が死ねなかった事と…自殺現場を目撃されてしまったことに気が付いた。
「なんで助けた?」
ありきたりの事を僕は聞いてみる
「なんで助けた? じゃないでしょうが!! 自殺少年!! 未来ある若者がそんな簡単に死んでどうするのよ!」
彼女は僕に顔を近づけ、まるで子供でも叱り付けるかのように僕にそう言った。
「余計なお世話だ! お前には関係ないだろうが!!」
僕は大声で怒鳴り散らした。なんだか悔しかったのだ。自殺が失敗したこともあるが、彼女の自分を子ども扱いするような態度が気に食わなかった。
「もぉ〜しょうがないなぁ……とりあえず私はキミが自殺しようとしてましたなんて事は誰にも言わないからさ…とりあえず落ち着こうよ、話は聞いてあげるからさ」
巨大なお世話だ。なんだこの女は…僕はひたすらそう思った。
「うるさいッ!! 僕に構うな!! 見ず知らずのキミに何が分かるんだよ!」

僕はそう言った。なぜ見ず知らずかと言うと、彼女の着ている服は、高校の制服だったのだ。しかしこの辺の学校の制服では無く、他の学校の制服だった。それに、最近の高校生の女子と言えば、制服にはアクセサリーなどが付いており、ミニスカートという様な校則違反も知ったこっちゃ無いような格好をしているものだが(少なくとも、モララーの辞めた学校の女子はみんなそんな感じだった)彼女は今時珍しく、普通の……見るからに清楚な格好をしていた。こんな女の子はこの辺には居なかったはずだ。
「頑固な自殺少年だなぁ〜! せっかく私みたいなかわいい子が話を聞いてあげようかって親切に言ってるのに…」
そう言うと、彼女は頬を膨らませた。この女は、今の状況と言うものが分かっているのだろうか? ふざけるのもいいかげんにしてほしい、本気で僕は腹が立ってきた。
「あんたはさっきから何なんだ? ふざけてるのか!? 今の状況分かってんのかよ! この無神経女!!!」
僕はついに本気で切れて怒鳴った。
「ふーん……つまりキミは…どうしたいの? 私に今の状況を分かってもらってぇ……可哀想な人ねって同情してもらいたいの?」
「うっ…それは…!」
痛いところを突かれた。完全に一本とられた感じだ。
「私はただ自殺少年が自殺しようとしてるから危ないなって思って、助けてあげたんだよ? それにどうして自殺なんてしようとしてたのか気になったから話を聞こうとしただけ、だから私がこの場の空気読めなくても関係ないでしょ」
彼女はそう言った。さっきのは正論だったが今度は少し屁理屈っぽい
「いや…でも…自殺しようとしてた奴の前でふざけたりなんか普通はしないだろ?」
僕は常識を言ってみた。
「そんなの私の勝手だよぉ、それに……あの時…私に助けられた時…自殺少年は死にたそうな顔はしてなかったよ、むしろ助かってホッとしてたって感じだったよ」
ドキッとした。僕はそんな事を考えてたのか? はなから死ぬ気なんて無かったのか? ……いや…そんなことは無い…無いと信じたい……
「い…いい加減な事を言うな!! 僕はなぁ…!」
「死にたかったの?」
被せる様に彼女は言う
「うっ…いや…だからぁ!!」
僕が言い直そうとした時、彼女はクスクスと笑った。
「な…何がおかしいんだよっ!!!」
僕が怒鳴ると、彼女は言った。
「いや、自殺少年はずいぶん決心がゆるいんだなと思って」
まったくもって余計なお世話である
「…あのなぁ!! お前な…」
「なに?」
「……もういい…なんかもう…怒る気もうせた……」
僕は流石に呆れてそう言った。
「そうこなくっちゃ!」
そんな僕を見て彼女は喜ぶ、ウインクしてにっこりと笑っている。これでもかと言うくらいに……僕は溜息を一つ吐いた。
「じゃあ…話を聞いてあげるからさ、こんな場所じゃなんだし…ファミレスかどこかに入らない? 自殺少年くん♪」
「ああああっ!! うるさいうるさいッ!! 僕の名前は自殺少年じゃなくてモララー! モララーって言うの! 分かった!?」
僕は彼女が余りに自殺少年と呼ぶから、自分の名前を教えてやった。これ以上自殺少年と呼ばれちゃたまったもんじゃない
「はいはい、分かったわかったぁ…いちいち怒鳴らないの、私はしぃって言うの、よろしくね」
こうして自然に二人は自己紹介をすることになってしまい、僕としぃは近くにあるファミレスに入った。僕たちは窓側の席に座ると、注文を取りにきたウエイターに適当な物を注文した。僕は窓の外を眺める、町は夕日でオレンジ色に染まり、行き交う人々は何か考え事をしている様に見えた。
「それでさぁ、モララーはなんで自殺なんてしようとしてたのぉ?」
しぃが大きな声でそんな事を言うので、周りの人々は一斉にこちらを見る、この女には本当にデリカシーと言うものが無いのだろうか
「やかましいっ! 声が大きい!! そんな事をそんな大声で言う奴があるか!」
「あっ……ゴメンゴメーン、ついつい…ね」
そう言うとしぃはぺロッと舌を出す。本気で頭が痛くなってきた…
「まぁ…僕にもいろいろ有ったんだよ」
僕はコップの水を一口飲み、あいまいな返事をしてみた。
「ふーん、つまりぃ……若気の至りで女の子を○○させちゃって、親や先生や親戚関係に追い詰められてもう死ぬしかない…ってとこ?」
「ぐっぐほっ…!」
僕は水を器官に入れて咳き込んだ。なんということを言うのだ。この女は…
「いい加減にしろ! 僕のどこをどう見たらそういう発想が浮かんで来るんだよ!!」
「ああ、違った? そうだよね…キミがそんなにモテるわきゃ無いか」
さらりと失礼なことを言う
「あ〜の〜なぁぁぁぁ!!!」
僕はホントにイライラしてきた。血管がぶち切れそうだ。
「僕はねぇ! 成績悪くて学校辞めるしかなくなって死ぬしかないって思ったの!!」
思わず大声でそう言ってしまう、周りの人達が自分の方を見て、しまったと思った。
「ほらほら、そんな事を大声で言わないの」
「お前が言うな!!」
いつの間のにか言い争いになっていた。










「……なるほど、つまりそういうことね……な〜んだ。たいしたこと無いじゃんやっぱり」
しぃは呆れたような様子でそう言ってきた。
「たいしたこと無いだと!?」
冗談じゃない、じゃあ自分が僕と同じ立場だったらどうなんだ。僕がそう言い返そうとしたときだった。
「うん、たいしたこと無いよ、それくらいならまだまだ大丈夫だよぉ、人殺しをしたわけでも無いし、ぜんぜん死ぬことなんて無い」
しぃが僕よりも早くそう言ってきた。にっこりと…幸せそうに微笑んで……
「……ちっ…人事だと思って……」
僕はしぃから視線を逸らし、そう言ってやった。
「…別に人事じゃ無いよ、私だって今日、学校中退したんだもん」
しぃは、あまりにも、さらりとそう言った。驚く暇も無かったほどに…
「…うそだろ…大体お前…学校どこだよ」
モララーは動揺しながらそう言ってみた。
「隣町の、アスキ高等学校…今日キミと同じ理由で自主退学したんだ…同じだね♪」
「…………」
しぃは余りにも簡単にそう言った。信じられなかった。
「なんで…」
「ん? どしたの?」
しぃは、またしても明るい声で言ってきた。
「なんでお前はそんな事になったのに…そんな明るくしてられるんだよ……おかしいだろ…普通…」
「悪い?」
「悪いって言うか……」
僕は言葉を探していた。
「まぁ…そんなことになったからって…暗くしてるってのばかりが人間じゃないよ? 私みたいなのも世の中には、いるって事だね」
しぃはゆっくりとそう言った。
「……なんだかしぃがうらやましいな…」
僕はそう言うと少しだけ笑った。
「えっ? それって褒めてんの?」
しぃは首をかしげながら言う、僕は「たぶんね…」と言ってみた。








その後…僕としぃはファミレスを出た。結局何を話しに来たのか分からなくなっていたように思えた。
「もう…暗くなっちゃったね……」
しぃの言うとおりだった。周りはすでに暗くなっていたのだ。夜の町の輝きがなんだか眩しかった。
「ああ、そうだな……帰るか…」
僕はそう言った。自殺をしようとしていた事など、いつの間にか、すっかり忘れていたのだ。恐らくは一度に色々な事が起こった所為で、辛い事を忘れさせてくれたのだろう
「うん♪そうだね、それじゃあバイバーイ♪」
しぃはそう言うと、僕に背を向けて歩き始めた。なんだかすごく不思議な子だった…僕は去っていくしぃに向けて、言った。
「しぃ! その…なんだ……なんか良く分からないけど…とりあえず…今日はありがとな…」
僕の中で…自然としぃに対する感謝の気持ちが芽生えていた。
「…うん! モララーは面白かったよ、また会えるといいね♪」
そう言ってしぃは今度こそ去って行った。人ごみに紛れて完全に姿が見えなくなってしまった。
(……今日はいったい何だったのだ? 自殺しようとして…不思議な女の子に出会って…)
何がなんだか分からなかった。まるで夢でも見ていたようだった……その日…僕はそのまま家に帰った。そして次の日……僕は再び彼女に会う事になる…


第3章……1996年4月11日、モララー16歳


この日…高校を中退して、何もやることの無くなってしまった始めの一日……世間では少年少女たちはみんな学校に行っており、社会人は会社に勤めに行っているこの時間、僕は昨日の橋の所に来ていた。なぜかは分からないが、ここに来ると何かがあるぞという様な根拠の無い予感…それと昨日の少しだけ不思議な一日…その始まりがこの橋の上だった事から、僕はなんとなくここに来てしまったのだった。僕は橋の上から、まだ一日が始まったばかりのきれいな空を見る、桜の花びらがまたどこからか飛んで来た。強い春風に吹かれて、飛んで来たのだろう…川は、昨日とは違って透き通り、綺麗なせせらぎの音を立てていた。
「ふーっ」
僕はひとつ溜息を吐く、昨日ここで自分が自殺をしようとしていたなんて信じられなかった。昨日のことは全て夢だったのでは無いか? 僕はそう考えた。
「こらー! そこで自殺しようとしとるのはだれじゃぁ〜〜〜!!」
聞き覚えのある声が聞こえたかと思うと、僕の後頭部に空き缶が当たってカツーン! といい音を立てた。
「いってええええええええっ!!」
僕は頭を抑えてその場にうずくまる
「あははっ♪みごとにめいちゅ〜う」
その楽しそうな声を聞いて、僕は勢い良く振り返る、するとそこには昨日別れたばかりのしぃが立っていた。昨日は制服姿だったが、今日は私服姿だ。
「いっ…いきなり何をするんだ!! 大体どうしてお前ここにいるんだよ!!」
「散歩」
普通に返された。
「そういうモララーは、また自殺未遂ですかな?」
しぃはニヤニヤしながらそんな事を言う、全く昨日と同じだ。
「おまえな…自殺自殺ってそんな事を軽々しく言うんじゃないッッ!! それにお前わざわざ隣町まで散歩に来るなよな!」
僕は怒りながらそう言っていたのだが、なぜか心の奥は和んでいた。しぃとまた会えて、何となく嬉しい自分がいるのだ。なぜだろうか…この女の子…しぃが自分と同じ高校中退者だからだろうか…
「もぉ〜素直じゃないなぁ…正直に私に会いたかったです。って言えばいいのにぃ」
「死んでも言うかそんな事!」
「自殺しても…?」
「だまれぇぇッ!」
こんな感じで、延々と僕としぃのコントのような会話が続いた。しぃがボケて僕がツッコむ…みたいな感じでさ…






「はぁ…はぁ……もう突っ込むの疲れた…」
しぃの怒涛のボケの連続に、僕はついにダウンした。もう突っ込む気力は残っていない
「はははっ、いやぁキミは良く頑張ったよ、うん、私にここまでツッコミを入れまくれる人なんて始めて見たよ」
なんかあまり褒められても嬉しくない
「あ〜あ…なんか無駄な時間と体力使っちゃったなぁぁ…」
僕はその場に座り込みながらそう言う
「こら、そんな情けない事言わないの、私たちはまだ若いんだから体力だって有り余ってるし、時間だって高校中退して昼間から暇な私たちにはまだまだ腐るほどあるでしょ」
確かにそうかもしれない……僕らは普通の人たちが働いたりしているこの時間に…こうして何をするわけでもなくブラブラしてるのだから…考えてみればこれはかなり異常なことだ。そう考え出すと…なんだか怖くなってきた。自分がこの世の中から、はじき出されている様な感じがして、言いようの無い恐怖が襲ってきたのだ。その恐怖は…今までに自分も体験したことの無い新手の恐怖だった。胸の奥底から湧き上がり、心臓の鼓動を早くしてくる…そんな恐怖…

「そう…だね」

僕はようやくそう言うことが出来た。僕はしぃの方を見た。しぃはそんな恐怖を感じていないのか、いつものようにしていた。…それを見たら何だか安心した。自分だけじゃない、しぃがいる…しぃも自分と同じだ。そう思ったら何だか安心してきたのだった。
「ん? 何見てんの?」
しぃがそう言ってきた。僕は「別に…」と言って誤魔化した。僕の目の前に桜の花びらが一枚落ちてきた。
「…………」
「…………」
しばしの間…僕たちは無言になる…その目はそれぞれ違う場所を見ていた。
「…さて……」
沈黙をやぶったのはしぃだった。
「これからどうする? やること無いし…」
しぃは僕にそう言うが、僕だってどうしようかなんて考えてない
「さぁね…」
僕はわざと素っ気無い返事をしてみた。
「んーー……じゃあさぁ……モララー…今から私とデートしようよ!」
「…デートねぇ………って…はぁ!!??」
しぃはまたとんでもない事を言い出した。デートって…僕らいつからそう言う関係になりましたっけ?
「ねぇ〜デートしようよ! 暇だしさ!!」
そう言うとしぃは僕の腕にしがみ付いてきた。
「わわわわわわっ……おいおいおいおいおいおいおいおい……!!」
突然の出来事に僕は戸惑った。
「や…止めろって…大体デートって暇だからするもんだったっけ?」
「この際だから細かいことは気にしないの! いいでしょ、ど〜せ暇なんだし高校中退者同士の縁って事でさぁ」
どんな縁だそれは…と言おうとしたが、しぃの体が突然密着してきたため、緊張で言葉も出ない
「ほらほらぁ、行くよ!!」
しぃは強引に僕の手を引っ張る
「行くって何処へ…」
「そんなもの歩いてるうちに決めればいいよ、さぁ行こう!!」
結局僕は彼女に強引に引っ張って連れて行かれてしまった。そして僕らは町の、賑やかな所へ行く…
「あっ! ねぇねぇモララー、ここで何か食べよ」
そう言うとしぃは、小さな喫茶店を指差した。
「ああ、ここね…でもここあんまりいい物はねぇぞ、それでもいいのか?」
僕はここの喫茶店に来た事がある者として忠告してやる
「いいよ、とりあえず入るだけ入ろう♪それから考えればいいよ」
そう言うと、しぃはドアを押し開ける、ドアがカランカランと鳴る…僕もドアを押し開けて中に入った。僕らは入ってすぐそこにあった席に座る、しぃは座るなりすぐにメニューを取り出して見始めた。
「な〜んだ。あるじゃない結構いい物が…えっと……チョコレート&ストロベリーパフェかな…」
そう言うと、しぃはメニューの一つを指差した。
「おいおい…よりにもよって一番高いヤツかよ…まぁ…想像はしてたけど…」
僕は何となく分かっていた。しぃだったら恐らく一番高い物を頼むだろうと…そして恐らく僕のオゴリになるだろうと言うことも…
「聞き忘れたけどさ、ここは僕のオゴリな訳だよね」
「当ッッ・然ッ!!!」
何もかもが予想通りだった。僕は彼女が出来たとき、相手の気持ちを分かってやるのが得意なタイプかもな……と思って少しだけ誇らしくなった。しかし…財布の中身が心配になった…


「う〜ん、甘くて冷たくておいしいよぉ」
しぃはしばらくして来たパフェを美味しそうに食べるしぃ、僕はアイスコーヒーを飲んでいた。
「そんなに美味いか?」
僕は聞いてみる
「うん、すっっごく美味しいよ!」
しぃは無邪気な笑顔でそう言った。なんだか子供みたいでかわいい……
(あっ…いかんいかん…なんで俺がこんな女にみとれにゃならんのだッッ!!!)
僕は不覚にもしぃにみとれてしまっていたらしい、なんだか悔しくなって自分を正気に戻すべく、コーヒーを一気に飲んだ。
「ねぇモララー、さっきから私の顔ばっかり見てない?」
しぃがそう言った。僕はドキッとする…やばい…感付かれたか…? そう思った時…今度はしぃが僕の方をじっと見てくる
(まずい…なんか知らないが、まずい……)
僕は、しぃから目を逸らすが、それでもしぃのすごい視線を感じた。僕は緊張して固まってしまう…おそらく顔は真っ赤に染まっているだろう
「べ…別にぃ…」
僕がそう言った時…
「あ〜! 分かったぞっ!!!」
しぃが僕を指差しながら言う、まずい…バレタ…みとれていたことがバレた…
「私の食べてるこのパフェが食べたいんでしょ! 絶対に嫌だもんね!! あげな〜い! あげないからねっ!!」
しぃはそう言って食べてるパフェを守るように手元に引き寄せた。どうやら僕の視線の意味を勘違いしていたらしい、僕はホッと胸を撫で下ろす。
「ち…ちげーよ、別に僕はしぃみたいな食いしん坊じゃないからな」
「あ〜っ! 食いしん坊って言ったかぁ〜? 食いしん坊って言ったなぁ〜!! よくも言ってくれたわね! この自殺未遂少年一号!」
「なにぃ〜〜今なんつったぁぁぁッ〜〜!?」
まぁ…こんな感じで、くだらない言い争いをしながら、喫茶店での一時はゆったりと過ぎていくのでありました。


第4章……1996年4月15日、モララー16歳


あれから4日が経った。僕はいつも通り学校に行っていた日々から隔離され、不安定な綱の上を渡っているような…普段から何かしらの罪悪感のある日々をあいかわらず過ごしていた。本来なら罪悪感と、情けなさと、つまらなさで押し潰されてしまいそうなこの生活だが、僕にはここ最近…密かな楽しみがあった。それはしぃに会う事だった。彼女もまた同じく、僕と同じような生活を強いられた者で、どういう訳か隣町の僕の所まで散歩に来る、いつもいつも……しぃが来る場所は分かっていた。僕が一番最初に自殺を止められたあの橋の上だ。あそこで待っていればいつもしぃは来る。僕は自然としぃに会うのが楽しみになってきてたのだった。会ってやる事といえば、くだらない話や、なぜか僕が食べ物をおごる事になる半分詐欺まがいのデートなどだったが、それでも僕は良かった。しぃと会っていると、なぜかすごく安心するのだ。普段から罪悪感にさいなまれなければならないこの生活だが、しぃと居る間はその罪悪感を忘れていたのだ。いつもあまりにも明るくて、こんな状況を何とも思ってないような少女…しぃ…彼女はもはや、僕の生活には欠かせない大事な存在になっていたのであった。そしてこの日も…僕は彼女に会いに、いつもの橋に向かった。だが…この日……突然この日々に…終わりを告げる出来事が起こることになるのだった。


僕は橋の上でしぃを待った。いつものように、駆けてくるのを待っていた。
(さて…今日はなにをして来るかな…昨日は突然背後から蹴り入れられたけど…今日はもうそんな手に引っかからないぞ…僕にも隙がなくなったと言うことを思い知らせてやるぜ!)
僕は少しニヤニヤしながらしぃを待つ、楽しみなのだ。この一瞬が…すると…突然僕の肩を誰かが叩いた。しぃだろう…
(は〜ん…しぃめ…今日はずいぶんと古典的な手を使うじゃないか……このまま振り向いたらしぃの指が俺のほっぺに……というヤツだろう…悪いが…俺はひっかからんッ!!)
僕はそう思って、しぃの方は振り向かずにそのまましぃに話しかけた。
「しぃ…お前もヤキが回ったかぁ? こんな事に俺が引っかかるわきゃねーだろ」
「…………」
しぃは何も答えない
「おいおい、悪あがきはよせ、今回の勝負は俺の勝ちだ!」
僕が得意になってそう言ったときだった。僕の背中にしぃの体が引っ付いてきたのが、分かった。
「しぃ? 何だなんだ? お色気作戦なら通用しない…」
僕がそこまで言いかけた時…後ろからすすり泣く声が聞こえた。同時に僕の背中に冷たいものが……
「し…ぃ…?」
僕が振り向くと…しぃが泣いていた…大粒の涙を流して……あの明るいしぃが…泣いていた…
「お…おい…どうしたんだ!? 何があったんだしぃ!!」
僕はあわててしぃにそう言う、この涙は決していつものおふざけなんかじゃ無い、僕は直感的にそう思った。
「思い出したの…私は今まで私の存在の意味を忘れていたのよ…それを昨日の夜……やっとのことで思い出した…私は本当なら……ここにいるべきでない者なのよ…」
しぃはそう言って泣き続けた。しかし僕には言ってる意味が分からない…
「しぃ…何の話だ? 言ってる意味が良く分からないんだけど……」
僕はとりあえず彼女を落ち着かせようと手を握ってやった。しぃはようやく泣き止んで、少しづつ話し出した。





「えっ…しぃはこの世の人間じゃない?」
突然しぃはわけの分からない事を言った。「私はこの世の人間じゃ無かった」と言ったのだ。
「なんだよ……じゃあ何か? しぃ…キミは幽霊だって言いたいのか?」
僕はいまだに信じられないと言った態度でそう言う
「違うと思う…幽霊…に近いものではあるのかもしれないけど…違うと思うの……何だか知らないけど…昨日の夜に…突然今まで忘れていた記憶が蘇って来たのよ。私はこの世に居るべき人間じゃないって……分からないの…私は自分でも自分の存在がよく分からない…私は幽霊なのか何なのか…でも…これだけは言える……私は恐らく…明日にはこの世界から消える…これだけは分かるの……そして…恐らくはモララーの記憶からも私のことは消えるわ…」
しぃは顔を伏せてそう言った。
「そんな事を……僕に信じろと?」
僕は何だか良く分からなかった。こんな話をいきなりされて…何が何だか……
「そう…だよね……こんな事…言っても信じてもらえないか……」
しぃは悲しそうな瞳でそう呟いた。
「………一つだけいいか? しぃが幽霊だろうがなんだろうが、そんなことはどうでもいい…唯一つ知りたいのは………」
僕は言葉に詰まった。

「お前が明日…どうあれ本当に居なくなっちまうのかって…事だよ……」

僕は……恐れていた…震えていた……しぃが居なくなるなんて…考えもしなかったから…これからもしぃは僕の傍にいて…一緒に話したり出来ると思っていたから………
「うん、それだけは…確実だよ…」


「…………」
 

しぃがそう言った時、僕の中でなにかが砕け散る音が聞こえた。沈黙が始まり…僕の頭の中は完全に混乱していた。
「その話…お前が居なくなるって話…いつもみたいな嘘じゃないよな…」
僕は期待してそんな事を言ってみる、しぃがいつもの笑顔で「じゃ〜ん、うっそでしたぁ〜♪」みたいな感じでさ……ふざけた事を言ってくれるのを…期待していた…

「私も…出来ることなら嘘にしちゃいたい……だって…なんだか…恐いから…」

確定だ。しぃは明日…どうあれ僕の前から居なくなってしまうのだ。ずっと心の支えだったしぃ……もう会えないのか……なんだか分からないが…泣けてきた…

「しぃ……とりあえず今日は帰るよ…明日の朝6時……ちょっと早いけど、ここで待ってる…今日はとりあえず……心を落ち着かせたい…」
僕はしぃに涙を見られないようにしぃに背中を見せながら言う…そして…しぃの返事も聞かずに駆け出した。





突然訳の分からないことになってしまった。僕はもちろん幽霊なんて非現実的なものは信じないし、しぃの話もあんまり信用していない、でも……しぃが僕の前から居なくなると言うこと…それだけは何故か信じられた。信じたくは無いが…信じられた………


第5章……1996年4月16日、モララー16歳


朝焼けが輝く朝のこの橋の上で…僕はしぃのとなりに居た。しぃは僕より先に来ていた。こんな日だけ僕より先に来るなんてさ……いつものように僕をからかってほしかったのにさ………
「しぃ…」
「うん…」
僕はしぃに話しかける、これから言おうとしていることは、本当なら言えないような事なのに…この時はなぜか何のためらいも無く言えるような気がした。
「僕はキミといると…安心できた。はっきり言って……しぃには助けられた…本当に………しぃ…僕は…しぃの事が好きだ…好きなんだ…」
僕はそう言うと同時に顔を伏せた。目の奥から熱いものがこみ上げてきたからだ。
「だから……だからこれからも…僕の傍に居てくれないか…頼むから…」
もう、泣いてることはしぃにばれていただろう…それでも僕はもう良かった。何でも良かったんだ…
「モララー…」
しぃは突然話しかけた。
「私が一番最初にモララーを助けたのは…私のやらなきゃいけない役目だったんだってさ…これも昨日思い出した。なぜだかは分からない…もう分からないことだらけ………それでね…もう一つ思い出したことがあるの…」
「何?」
僕は聞いてみる
「それはね……」


「私とモララーは…いつかまたどこかで会えるって事……生きていれば…いつか会える…だから……モララー…がんばって…ね……」


そこまで言うと、しぃは涙を流した。僕は「本当だな…信じてるよ……その言葉…」と言って、しぃを抱きしめた。

「…しぃ…最後に……別れの前にもう一度…いつものように…ふざけて僕を笑わせてくれないか?」

僕は涙を必死でこらえると…笑いながら言った。すると…しぃも笑って…泣きながら笑って…僕に向かって言う


「絶対にもう自殺なんてすんなよ…自殺…少年」


しぃはそこまで言うと、崩れるように泣いた。僕はいつも通りに…「余計なお世話だよ」と言うと…さっきよりも強くしぃを抱きしめた。


朝の町は、光り輝いた。生命に…生きる活力を与える太陽が、まばゆい輝きで光り出したのだ。川に反射して光る光…遠くのビルの隙間から見える光……抱きしめあった二人にも…その生命の光は降り注いだ……



気が付くと、僕は一人で橋の上に居た。何をやっていたかは思い出せない…ただ誰かと居たこと思い出せた。僕はそのまま…朝もやの町を途方にくれて歩き出した。



この日から僕に謎の記憶が植え付けられることになるのである




第6章……2006年8月19日、モララー26歳


16歳だったあの日から10年の月日が経った…
僕はこの日…会社が休みで、町を暇そうに歩いている…高校を中退した低学歴の僕でも…小さいながら会社には勤めることが出来たのであった。しかしこの日は非常に暇だった。何もすることが無い
「あの……」
突然後ろから声が聞こえた。振り向くと女性が一人立っていた。
「何ですか?」
僕は無愛想にそう言った。
「あっすみません…あの……何か…どこかで会ったことがあるような気がして…」
彼女はそう言った。そう言われると、自分も何となく…この女性に会った事があるような気がしてきた。
「はぁ……あの…今思ったんですが…僕の方もあなたに会った事があるような気がしてならないんです。さっきから…」
僕は正直にそう言った。
「えっ…そうなんですか? えっと……誰だったっけなぁ〜〜〜」
彼女は突然、緊張感が抜けたような話し方になる…そうだ……この話し方もどこかで聞き覚えが……
「あのぉ〜〜よろしければ今から少し話でもしません? ちょっとそこらで…そうすれば思い出すかも…」
彼女の提案に僕も賛成する、僕もこの女性とは絶対にどこかで会ったような気がするのだ。


そう…考えてみればこれが僕としぃの出会いだった。


その後……僕としぃは、話しているうちに気が合うことに気が付き、携帯のアドレスを交換し合うと、その後の日も頻繁に会うようになった。しぃはいつも元気で、時に悪い冗談を言っては僕を困らせた。でもそこがまた彼女の魅力でもあった。一緒に居ると、とにかく楽しいのだ。時間も忘れるほどに……さらに奇妙なことに、彼女は僕と同じで高校中退者らしいのだ。それで気が合うのだろうか? それは無いか……

そして…僕は彼女と会う内に、彼女に惹かれている自分に気が付いた。何だか知らないが、僕はいつの間にか彼女に夢中になっていたのであった。そして…彼女と定期的に会い続け、1ヶ月が経とうとした頃…僕は決心をした。彼女に僕の気持ちを正直に伝え、正式に付き合ってくれるように言う決心を……


第7章……2006年9月20日、モララー26歳


夏もすでに終わっており、本格的に秋になろうとしているこの季節…まだ夏の空気をどこか残しつつも、肌寒さも感じるようになってきた何とも言えないこの季節……僕は待ち合わせの駅の近くで彼女を待つ、待っている間…何度も何度もしぃの顔を思い浮かべた。もうすぐまたあの笑顔を見れるのかと思うと非常に待ち遠しい……この待ち合わせ場所に来る前、電話の向こうでしぃの声を聞いた。相変わらずの明るい声に陽気な性格…僕はとても元気が出た。
『うん、分かった。じゃあすぐ行くからまっててね』
待ち合わせの場所を電話で伝えた時、彼女はそう言った。しかし、しぃはなかなか来ない…どうしたのだろうか…僕がそう思った時だった。

ピリリリリリ……
僕の携帯が鳴る
「はいもしもし…」
「モララー……あのね…ゴホッ…さっき体がだるかったから……体温測ってみたら熱が…あって………それで…行けそうに無い…の…ゴホッ…」
苦しそうな咳まじりのしぃの声…僕は少しあわてた。
「えっ…だ…大丈夫!? え〜っと……待ってて…今そっち行くよ!!」
僕はしぃの返事を待たずに携帯を切ると、すぐに彼女の家に向かう、途中あったコンビニでスポーツドリンクや、少しばかりの軽い食べ物なども買った。
僕は全速力で走り、しぃの住むアパートの階段を駆け上がった。そしてしぃの部屋の前に着くと、軽くドアをノックする。
「入って…いいよ……鍵は開いてるから…ゴホッ…ゴホッ……」
僕は言われるままにドアノブを掴むと、中に入った。部屋の中ではしぃが布団に寝ていた。顔が真っ赤になっており、苦しそうに息を荒くついていた。
「しぃ…どうだ…大丈夫か? ちょっとだけど飲み物とか食べ物とかいろいろ買ってきたけど…」
僕は手に持っていたコンビニの袋を見せながら言う
「あ…ありがと……でも今は…ちょっとムリっぽい………ゴホッ…食べる気がしなくて…」
「そうか…ねぇ……もう一度、熱測ってみたほうがいいんじゃない? 上がってるといけないし……」
「そうだね…分かった…」
しぃは枕元にある体温計に手を伸ばした。そしてゆっくり体を起こす。
「大丈夫? 起きれる?」
「大丈夫、大丈夫……こう見えても私は……モララーよりも10倍はタフなんだから…」
無理に笑顔を作って、冗談を言う所が彼女らしい…僕はそう言われつつも、起き上がりやすいように、しぃの体を支えてやる。
「だ…大丈夫……一人で起きれるよ……」
しぃは僕にそう言う
「大丈夫か? ホントに…」
「だいじょうぶだよ〜……それにドサクサに紛れて私の体を触ろうとしているモララーのスケベな魂胆が丸見えだしね♪」
「ばっ……馬鹿!!! こんな時にくだらない事を言うなッッ!!!!」
僕は真っ赤になった。
「う〜ん…大声出さないでよ……ここに病人がいるってのにぃ……」
「大声出させるようなことを言ったのはどこのどいつじゃっ!!!」
僕としぃはこんな時でもいつも通りだった。やがて…しぃは熱を測る…体温計の電子音が聞こえると、しぃがゆっくりと体温計の画面を見る。
「えっ……ゴホッ…やだ……さっきより高い……」
しぃがそう言ったので、彼女の手から体温計を奪って画面を見ると、なんと40度を軽く越えていた。
「おいおいおい……こりゃひどいな…病院に行ったほうがいいよこれ…」
僕は驚いてしぃにそう言う
「うん…そうだね……じゃあ出掛けなきゃ……じゃあちょっと着替えてくるからそこにいてね……」
そう言うと、しぃはよろよろと立ち上がり、隣にある風呂場に向かう……しかし、その途中でよろめき、柱に頭をぶつけた。
「いたっ……うう…いたい…」
しぃは頭を抑える
「おいおい…大丈夫かよ…ホントに…」
僕は本当に心配になってきた。
「だ…大丈夫……じゃあ着替えてくるから……ちなみに覗いたら問答無用で警察呼ぶからね……」
「僕はそんなに信用できないか、そ〜か、そ〜ですか」
しぃといつもの冗談のやり取りをしながら、笑う…しぃが風呂場の中に入って入ったのを見て、僕はその場にゴロリと寝転がる。

20分くらい経っただろうか…まだしぃは出てこない…

「まだか? やけに時間がかかるな…」
僕は何かいやな予感がしたが、その場で動かずに大人しく待つことにした。

しかし………さらに20分が経過した…着替えるのに40分かかることなど、果たしてあるのだろうか…? 僕は流石に心配になって、風呂場のドアを叩く

「しぃ! しぃ! まだか?」
僕はしぃの名前を呼びながらドアを叩く、しかし中からは返事が無い……
背筋に嫌な汗が流れた。何か嫌な予感がする!!
「しぃ!! 返事をしろ!! しぃ!?」
僕はさらにドアを叩くがやはり返事は無い…
「しぃ!! 開けるぞ!! いいな!!!」
僕はたまらず、ついに風呂場のドアを開ける……! すると…
「しぃ………おい! しぃ!! しっかりしろ!!! しぃっ!!!」
中では、風呂場に入る前と変わらない格好のままでしぃが倒れていた。息はさっきよりも苦しそうだ。顔色が非常に悪い……
「しぃっ!!! しっかりしろ!!! しぃ!!! おい!!! 救急車……救急車呼ばなきゃ!!!!」
僕はいそいで携帯で救急車を呼ぶ……僕はしぃの体を抱きしめて…無事でいてくれと心の底から祈った。


第8章……2006年9月20日、モララー26歳


僕は病院に居た。しぃは病室で寝ている……
「しぃ……」
先ほど医者が言った言葉が胸に突き刺さる。僕にはどうしようも無かった。
『なんで突然こんな高熱が出たのかは分かりません……原因は不明です。今はなんとか解熱剤で熱を下げていますが…薬もそう長くは持たないでしょう……言いにくい話ですが…しぃさんの体はこうしている間にもどんどん弱っていっています。この発熱は確実に今、しぃさんの体を蝕んできているのです。我々も最善を尽くします。しかし……こんな事は非常に言いたくないのですが、万が一の時もある…と……覚悟をしておいてください…』
数分前…僕は医者にそう言われた。胸が押しつぶされそうだった。大丈夫だ…大丈夫だといくら思っても、目の前にある重い現実に押しつぶされそうな思いだった。僕は思い足どりで、しぃの病室に行く…
(ここだな…)
僕はしぃの病室に入る。しぃは点滴を打ち静かに眠っていた。
かわいい寝顔だな…
僕は不謹慎ながらもそう思ってしまった。僕は眠っているしぃの手を取る…
「しぃ…今日はずっと一緒にいるよ…」
僕はしぃに自分の笑顔が届いていると信じて、笑顔を向けた。


第9章……2006年9月26日、モララー26歳


しぃが入院してから6日が経った。僕は会社が終わり、しぃのお見舞いに行こうと病院に向かっている途中だった。
ピリリリリリ……

携帯が鳴り出した。
「もしもし……えっ!!」
僕はその電話の知らせを聞くやいなや駆け出した。しぃの容態が悪化したらしいのだ。僕は全速力で病院に向かう

「はぁ……はぁ…」

病院に着くと、僕はすぐにしぃの病室に急いだ。そして…しぃの病室の中に駆け込んだ。
「しぃ!!! 大丈夫か!!!」
僕がしぃの方を見ると、しぃは荒く息をつき…とても苦しそうにしていた。隣では医者が処置を施している。
「はぁ……はぁ…ごほっ……ごほっ…!!」
しぃは咳を何度もして、必死に呼吸をしているように見えた。額には玉のような汗をかいている。
「しぃ……しぃ!!」
(たのむ…神様……しぃを助けてくれ!!!!)
僕は苦しそうにする彼女の顔を見ながら、歯を食いしばって必死にそう思った。


第10章……XXXX年X月X日、しぃ16歳?


私は気が付くと暗いところに居た。何が何だか分からなかった。闇の中で、いま自分がどこのどの位置にいるのか分からない…もしかしたらここは部屋の中なのかもしれないとふと思い、壁を探して手探りをしてみるが、私の手は空しく空を切るだけだった。

闇は人間の恐怖心を煽るとどこかで聞いたことがある。この闇も例外ではなかった。一面の闇は私の恐怖心を容赦なく煽った。もう二度とこの闇から出られないような…そんな根拠の無い恐怖心に囚われた。
「…………」
私は無言のままで、手探りをしながら闇の中を歩き出した。その場にとどまっていた方が安全かとも思ったけど、私はその場にとどまっている事の方が恐怖に感じたのだ。

しばらく歩いた時…

『しぃ……』

声が聞こえた。聞き覚えのある声だった。しばらく誰の声か分からなかったけど、しばらくしてすぐに分かった。あれは私の声だ。今より少しだけ若々しくて活発なあの声…あれは昔の私の声だ。
「誰?」
私は念のためにそう聞いてみる
『私は16歳のときのあなたよ…あなたは今…生死の境を彷徨っているわ…これから私の言うことを良く聞くのよ』
ああ、そうか…私は生死の境を彷徨っているのか…あの高熱は何かものすごい病気だったんだ…このまま私は死んじゃうのかな……
私はそう思って恐怖したが、闇の中から聞こえる昔の私の話をしっかり聞かなくてはと、気をしっかりと持った。
『いい? あなたはあのモララーって人と、どこかで会ったことがあると感じていたでしょ、実はあなたはあの人と会ったことがあるの…いえ…正確に言うと…そう言う事実だけが過去の時間の流れの中に残してあって、実際に過去のあの人に会いに行くのは…今からと言うことになるのよね…』
昔の私は良く分からない事を言うので、私はどう言う事か聞く、すると昔の私は言った。
『あなたは今から過去のあの人…16歳だったモララーに会いに行くのよ、あなたの役目は彼を助ける事、モララーは16の時、一度自殺未遂をしているのよ』
「自殺未遂?」
『そう、しかも今の彼には…自殺しようとしている所を"誰か"に助けられたと言うおぼろげな記憶が残っているのよ、その時彼を助けたのがあなたよ…あなたは彼と同い年の16の時…彼を自殺から助けたのよ』
昔の私はそう言った。しかし私は納得がいかない
「ちょっと待ってよ、私が16の時私はそんなことしてなかったわ、私はあの時高校を自主退学して……途方に暮れていたのよ、人助けなんかした記憶は無いわ」
『そうね…確かに"あの時"のあなたはそんな事していないわ、でも…もしあの時に…あなたに空白の時間があって、その時に…あの時のあなたとは違う未来のあなたが、あなたの体を借りて1996年の4月にモララーを助けたって言ったら…あなたは信じる?』
意味の良く分からない事を立て続けに言われ、私は少し戸惑った。
「……何を言ってるのか良く分からないけど…つまり…私が16歳の時に…私が無意識のうちに未来の私に体をのっとられて…私の知らないことをしていたって事?」
私はそう言った。何だか良く分からないが恐くなってきた。
『のっとられたなんて人聞きの悪い……これは運命なのよ…未来にはあなたとモララーが出会うというシナリオはすでに出来上がっていた。だからそれを成立させるために、あなたが16の時、未来からあなたが来たのよ…モララーの自殺を止めて、未来を生きる心を持たせるためにね。そして時は来たわ…今からあなたはこの時代での一切の記憶を一旦なくして、16歳の少女しぃとして過去に行くのよ』
昔の私は何だか嬉しそうにそう言った。私はさっきから頭の中がこんがらがっていた。
「つまり今から私は…一旦16歳の頃に戻るわけね? この時代の記憶をここに置いて……それでモララーを助けるのね?」
私は確認するためにそう言った。
『そう、あの時のあなたにはきっと…よく何があったのか思い出せないような…そういう"空白の時"があったはずよ…あなたは今からその時のあなたになるの…そして…モララーを助けてあげるのよ』
「…………」
私は少し間を空けると言った。
「私にできるかな…モララーを助けることなんて…」
『大丈夫よ…過去に行くのは今のあなたじゃない…それに…この時代にモララーが居ると言うことは、彼は生き延びたって事……大丈夫…この事が全て終わったら、あなたの熱も引いて、いつも通りに元気になるわ…この発熱は…あなたが運命を成立させるために過去に行くときのためのものだから……ただ…過去の世界で…あなたは時々自分が何なのか分からなくなって苦しむこともあるかもしれない…とくに最後の最後で、いきなり自分の事を思い出して苦しむかもしれない…でも少しの間だから頑張って…! 全て終われば…この時代のあなたの記憶と…モララーの記憶が蘇るわ、あなたがこの仕事を完璧に終えた時……曖昧だった過去は成立し、全てはつながり…記憶も戻る…そこからまた全てが始まるのよ…』
不安な私を、昔の私は優しい声で安心させてくれた。何だか勇気が出た。
「分かったわ、私はその仕事を…しっかりこなしてみせる!!」
私が強く、しっかりとそう言った時、私の意識は突然無くなった。


第11章……1996年4月10日、しぃ16歳


私は何故か隣町にいた。なんでここにいるんだっけ? 私はそう思ったが、きっと散歩にでも来たんだなと思い、歩いた。

そう言えば私は今日高校を中退したんだった。その事で親と言い合いになって、うんざりして家を出てきたんだと思い出した。私はちょっと行った先に、橋があるのを見つけてそこに向かう、橋が見えてきた時だった。私は橋の上にいる一人の男の子を見た。私と同い年くらいの男の子だ。その子は少し様子がおかしい、まさか…
私がそう思った時だった。男の子は橋から身を乗り出した。飛び降りようとしているのが
すぐに私には分かった。私は考えるより先に声を出していた。


「あんたなにやってんのよ!!!」
「わっうわっ!!!」
男の子は私の声に驚いたのか、体のバランスを崩してよろめいた。男の子の体は橋の外側に倒れていく…
「危ない!」
私はすばやく男の子に駆け寄ると、手を伸ばして男の子の手を握り、倒れる体を引き上げてやる。男の子は助かったことが信じられないのか、私に引き上げられた後もボーっとして突っ立っていた。
「ふーっ…間一髪だよぉ…」
私はフーッと息をつくと、額の汗を拭うしぐさをしてみる。
「なんで助けた?」
男の子はなんだか情けない声を出してそう言った。自殺しようとしてたんだやっぱり……と私は改めて思った。
「なんで助けた? じゃないでしょうが!! 自殺少年!! 未来ある若者がそんな簡単に死んでどうするのよ!」
私は説教くさいと思いつつも男の子にそう言ってやる。
「余計なお世話だ! お前には関係ないだろうが!!」
男の子は声を張り上げて怒鳴った。
「もぉ〜しょうがないなぁ……とりあえず私はキミが自殺しようとしてましたなんて事は誰にも言わないからさ…とりあえず落ち着こうよ、話は聞いてあげるからさ」
とりあえず私は男の子を落ち着かせようとしてそう言ってみた。
「うるさいッ!! 僕に構うな!! 見ず知らずのキミに何が分かるんだよ!」
しかし男の子は私の言葉を跳ね除けるように怒鳴り散らす。しかし私はいつものように肩の力を抜いて男の子をなだめようとした。
「頑固な自殺少年だなぁ〜! せっかく私みたいなかわいい子が話を聞いてあげようかって親切に言ってるのに…」
そう、私はこんな風に…どんな時もちょっとおどけてきた。今回も例外じゃなかった。私はそう言いながら頬を膨らませてみせる。すると男の子は恐い顔になった。馬鹿にされたと思ったのかな……
「あんたはさっきから何なんだ? ふざけてるのか!? 今の状況分かってんのかよ! この無神経女!!!」
やっぱり馬鹿にされたと思ったらしい、男の子はめちゃくちゃに怒ってきた。しかし私は冷静だ。
「ふーん……つまりキミは…どうしたいの? 私に今の状況を分かってもらってぇ……可哀想な人ねって同情してもらいたいの?」
「うっ…それは…!」
思ったとおり…男の子は私が少し突き放すような態度を取るとすぐに戸惑った。なんだかここまで分かりやすいと逆に面白い


結局…この後私たちは軽い言い争いのような事をしたが、何とか男の子の自殺を止めることには成功したみたいだった。


男の子の名前はモララーと言うらしい、私が自殺少年と呼んでからかっていたら「ああああっ!! うるさいうるさいッ!! 僕の名前は自殺少年じゃなくてモララー! モララーって言うの! 分かった!?」と言って、自分の名前を言ってくれた。モララーは何だか分かりやすくて単純で、からかい甲斐があって面白かった。



そして…モララーと別れた次の日も…私は何となく彼に会いたくなって、隣町の橋の所に来てみた。そこにはやっぱりモララーが居た。何だか嬉しかった。私は早速彼をからかってやる。



「こらー! そこで自殺しようとしとるのはだれじゃぁ〜〜〜!!」




第12章……2006年9月26日、モララー26歳

何時間かが経ち…

僕はただひたすら祈りながらしぃの手を握った。「頼む…頼む…」と何度も繰り返して…その時である。
「モ…ララー…?」
しぃが閉じていた目を開け、こちらを見たのだ。
「しぃ!!!」
僕は嬉しくて思わず大声を出してしまう、医者は笑顔で頷いている。もう大丈夫だと言う言葉が、口で言わずとも伝わった。
「モララー……」
しぃはもう一度そう言うと涙を流した。医者は軽くこちらを見ると、病室を出て行った。病室には僕としぃの二人きりになる。


その時………

(!!なんだ…?)
僕は不思議な感覚に襲われた。目の前にある見慣れたしぃの顔が妙に懐かしい……奇妙な感覚だった。

そして…なぜかその時に、僕の頭の中に"例の記憶"が入ってきた。昔…"誰かと一緒に居た"記憶………その記憶の中の女の子の顔……いままで分からなかったその女の子の顔が…何故か今はっきりと思い出せた。

その記憶の人の顔は……間違いない…今目の前に居るしぃだった。
(な…なんだ? なんで…今まで思い出せなかったのに……じゃあ…あの時一緒に居た女の子は…しぃだったってのか……)
僕がそう思った時、またしても僕の頭の中で、記憶が次々に蘇ってきた。僕は……全てを思い出した。彼女と何を話したか…そして…どうやって別れたかも……
「モララー…」
僕が何も言えずに黙っていると、しぃが僕に話しかけた。
「何?」
「あのね……私…夢を見たの……モララーがまだ高校生で…私が自殺を止めて…」
しぃがそう行っている時に……僕はたまらずに言った。
「キミが僕を自殺少年って呼んで、からかっただろう?」
僕がそう言うと、彼女は驚き目を丸くした。
「やっぱり………しぃ…変なことを言うようだけど、それは多分夢じゃない…僕は全部思い出したんだよ、出会った時にキミが僕のことを、どこかで会ったことがあると言った。僕もキミをどこかで見たような気がしていた。でも分からなかった…それが……今思い出したんだよ…完璧に…しぃ…僕としぃは16歳の時に確かに会ったことがある。そして二人で遊んだりしたが、途中で何だか知らないが別れることになった。これは…記憶違いなんかじゃない…」
「モララー……あの…私も思い出したの…モララーとの事…」
しぃは静かにそう言う
「えっ…!」
僕は驚く…彼女も思い出していたとは…
「それで……それでね…なんだか…何だか嬉しいんだ……あの時別れてさ…やっと…やっと会えたんだねって…思ったら…」
しぃはそう言うと、泣きながら体を起こし、僕に寄りかかった。
「やっと会えたんだ……なんか不思議だけど…やっと会えたんだね…モララー…」
しぃは泣きながら笑う…気が付くと、僕の目からも涙がこぼれていた。そう……二人はこうして…やっとの事で再び会うことが出来たのだから…
「ああ、久しぶり…会いたかったよ…しぃ……ずっとね…」
僕はしぃを抱き寄せる。
「うっ……あいたかったよ…わたし…も……」
二人とも…再会を喜び合った。傍に居るのに、ずっと気づかなかった奇妙な二人の再会……二人は身を寄せ合い…再開を喜び合った。
「しぃ……ただいま…」
僕は何となくそう言ってみる。
「お帰り…自殺少年…」
そう言う彼女の顔はあの時と何も変わってなくて……

僕は彼女を優しく抱き寄せた。


僕たちの人生には、いろいろと面倒なことがあるだろう…時には死にたくなるような…そんな絶望感が襲ってくるかもしれない…でもそんな時は…取り乱さずに"先"を見てほしい…未来には何が待っているか分からない、僕らは未来を見ることが出来ないから、この先の未来を悲観してしまうこともあるだろう、でも…もしかしたら…自分のことを…遠い未来の先で待っている大切な人が居るかも知れない…もし仮に、その人に出会う前に死んでしまったら…それは未来に出会うはずの大切な人を悲しませることであり、裏切りの行為だ。僕たちが生きるのは、自分のために…そして…これから出会うたくさんの人たちのために…そのために生きる……僕たちはそれを忘れてはならない…





あなたの未来には……きっと…大切なかけがえの無い人に出会うと言うシナリオが出来上がっています。そのシナリオをあきらめずに成立させて下さい。がんばって……



                  完

あとがきはありません。

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